団の歩み

日進サッカーと団と番場グラウンド

 日進サッカースポーツ少年団は、昭和57年4月に発足しました。設立当時の団員数は20名で、埼玉大学付属養護学校と日進小学校校庭を借りて練習を行い、ゴールもない状況でした。初めての公式戦Aクラスは18対0で完敗。サッカー経験のない父母が子供と一緒にひとつのボールを追いかけては、日進サッカースポーツ少年団の熱き思いと未来を語りあうところから始まりました。

 現在の番場グランドは、旧大宮市の遊水地で、小魚やザリガニが生息し、葦がたくさん生えていて、周りは林、カブトムシやクワガタがいる子供達の遊び場でした。その後、現在のソニックシティを建てるため、大宮商工会議所ビル取り壊しのガラと残土の捨て場所になっていました。ここに専用グランドを作ろうという思いで、大宮市に相談したところ、予算がないので無理だとのこと。そこで、市に理解をいただき、日進サッカースポーツ少年団と日進三丁目ソフトが協力して、グランド作りがスタートしました。

 この頃には指導者も揃い、昭和61年には育成会もでき、団員も増えてきました。しかし、グランド整備のために砂を入れても入れても、流れてしまい唖然としました。しかし、何度も土を補給しているうちに、夏には葦が生え、鉄骨のガラが頭を出すという状態も序々になくなってきました。こうして5~6年間、真夏の暑い中、手弁当で、父母と指導者、団関係者でグランドを整備しました。防球ネットもそれを張る柱もなく困っていたところ、東京電力大宮支店に、建柱車で柱を立てていただきました。防球ネットは工事現場の防護ネットを使用し、団員の父母より協力をいただきトイレも作りました。

 こうして番場グランドが整備されたのです。

 スポーツをこよなく愛し思いやりのある子供達を育成、指導するという信念を持って、ひとつひとつの困難を克服し、日進サッカースポーツ少年団はこれからも努力していくつもりでおります。

元顧問 清水 成起 創立20周年記念誌より抜粋

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